更新日:2022年9月26日

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在校生・保護者の方へ

PTA

児童生徒の保護者の話2 

第2回「秋山竜子さんにお聞きしました」

 先輩保護者の写真今回は、秋山里奈さんのお母様、秋山竜子さんにお聞きしました。里奈さんは、本校の幼稚部、小学部(平成6年入学)に在籍。中学からは筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)に進学、1年間の浪人生活の後、明治大学法学部に合格。3年早期卒業制度を利用し大学院に進学。修士課程修了後、外資系医薬品会社に就職し、現在も活躍中です。その間、視覚障害者のトップスイマーとして3回のパラリンピックに出場。アテネでは100m背泳ぎで銀メダル、北京では背泳ぎが種目から無くなり50m自由形で8位入賞。ロンドンでは復活した100m背泳ぎで念願の金メダルを獲得しました。

 

盲:秋山さんの場合には、幼稚部から在籍されていましたよね。

秋:うちは何しろ生後2カ月から来たんです。里奈の目が見えないということが病院で分かって、もう次の日か、次の次の日かには来たんです。

盲:それは病院で紹介されたんですか?

秋:いや、そうじゃなくて、自分で探して来たんです。私、視覚障害者のことが全くわかっていなかったので、皆さんどうやっているのかしらと思って、自分の子が見えないということがショックだったし、目が見えないということがどういうことだかが自分でわからないから、まず盲学校に行ってどういう風に生活しているのか知りたいと思って、それもアポなしで行ってしまったんです。そうしたら、幼稚部にS先生がいらして、本当にS先生との出会いが私の人生を変えたじゃないけど、私たちを笑って過ごせる方向に導いて下さったと思っています。普通だったらちゃんとアポを取ってうかがってということなんでしょうが、幼稚部に案内されたらちょうど先生がいらして、私なんか泣いてばかりでオロオロしているのに、S先生が「お母さん、大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」って言ってくださって、私なんか、目が見えなくても笑うことができるのかしらとか、歩けるのかしらとか、ご飯食べられるのかしらなんて、とにかく何もわからないじゃないですか。そうしたら、先生が「大丈夫ですよ。普通に育ててください」って、育て方よりも私の気持ちをゆっくり聞いてくださったんです。それから、「じゃあ、ちょっと学校の中をご案内しましょう」って、校内を案内してもらったら、ちょうど小学生くらいの子どもたちがいて、何かいろいろ楽しそうに喋っていて、私はその子たちを見て、また泣けちゃってグチョグチョになっているのに、「誰?何の車に乗っているの?」って話しかけてくれて、「赤い車よ」って答えたら、「何?風邪引いてるの?」って言ってくれたりしたのを覚えています。何しろ、私は、生後2カ月で来て、一番早く来ていて、初めの内は里奈を連れてこないで、一か月に1回くらいの相談で、里奈の家でのようすなどを伝えていて、それからしばらくして、まだハイハイもしないうちから里奈を連れてきて、そうすると、「お母さん、大丈夫ですよ。順調に育っていますよ。普通と同じように、お姉ちゃんと同じように育てて下さい」って、私をなだめるようにお話して下さったんです。

盲:では、幼稚部に入学されるまでは、そのまま教育相談を続けられていたわけですね。幼稚部に入ってからは、他の幼稚園へ交流するということは考えましたか?

秋:はい、地域の幼稚園にも年長のときに行ってました。盲学校はどうしても人数が少ないので、小学校は統合教育を希望していたので、3歳になる前くらいから市役所に掛け合っていたんです。希望は統合にして小学校に通って、専門の先生が一人付いてくれるとベストだし、それが無理なら私が付いて小学校に行って、専門のことは学校が終わってから盲学校に行ったりして勉強したいという希望を3年間にわたって市役所と話したんだけど、やっぱりそういう実例が無いからダメだと言われて、じゃあしょうがないから盲学校に入って、あと週に1回でも地域の小学校に交流で行かせてもらったりするしかないかなあと思っていました。

盲:本人はその当時何か言っていましたか?

秋:幼稚園に行って、自分は普通とは違うということがわかったみたいです。

 私はなるべく里奈に目が見えないということがわからないようにしていたんです。うちの禁句として「見えない」という言葉は使わなかったんです。里奈にも「あなたは目が見えないのよ」ということは絶対に言わなかったんです。でも本人が「私は何か他人とちがう」と気付いてきたようなんだけど、そのことについて本人からどうのこうのと言われたことは無かったです。地域の幼稚園に行ってもあんまりつらい思いはしなかったようで、週に1回だから何かお姫様のように大切にされていたみたいです。泥んこ遊びでも、男の子とケンカするでも、のびのびさせてもらいました。盲学校では、専門的なこと、手の使い方とか、走り方とか、食堂まで歩くにはどうしたらいいのかとか、物の触り方だとか、盲学校でしかできないことをしていただいて、本当にいい環境だったように思っています。

盲:でもやはり小学校の方に行きたいと。

秋:はい、言われて聞いていることは、普通によくわかっているようだし、上の子がやっている算数なんか聞いているだけでわかっているようだったから、小学校に行っても普通にはついていけるのではないかなと思っていました。でも、読み書きはどうするんだろうと不安があったから、盲学校から専門の先生が一人ついてくれると、全部がうまくできるんじゃないかなと考え、でも1年とかでは絶対に掛け合えないだろうからと、年少くらいの頃から市役所の方と掛け合ってきたんですけど、結局そうはならなかったんです。

盲:そうですね。今、秋山さんがおっしゃったような形が組めれば、本当のインクルーシブ教育になるのでしょうけど、実際に視覚障害教育を専門的に担える教員というのは、ものすごく少なくて、市町村単位でいうとほとんどいないというのは、今でもそうなんです。視覚障害教育は専門ではないけど、誰か教員を付けることができるというのが、現状なんです。

秋:今思うと、小、中、高まで盲学校に行ってて、そこで徹底的に専門的な教育を受けさせてもらって、それで大学はもう一般に出て行って、それが良かったんだなあって、二通りの道を行ったわけじゃないのでわからないけど、今はそう思っています。

盲:盲学校の小学部に入学したころに話をもどしますが、・・・

秋:1年生に上がったときに、正直「ああ盲学校しか行くとこが無いんだ」と思っていたんです。でも、1年生のときの先生が「盲学校でもね、お母さん。私は、お子さんの能力を全面的に全部見い出して、いろんな能力をつけてあげたいんです。私の力がある限り、盲学校の先生方のいろんな力を集めて、この子たちにきちんと力をつけてあげたいんです。社会に出るのは、高校でも大学でも、自分たちが行きたいと言ったときに出られるから、その前の段階として、外に出られる力をつけてあげたいんです。そのためには点字も速く読めないといけない」とおっしゃられて、そういうのは盲学校じゃないとできないじゃないですか。専門的な先生じゃないと。「受験するにしろ何にしろ、速く点字が読めないとダメだから」って、本当に徹底的にやっていただいたんです。また、あの子は負けず嫌いだから、点字でも珠算の検定でも本当によくやってきたし、だから、その先生の言葉を思い出しては、ああ、盲学校に入れば、こうやって専門的な先生が、これだけ熱心に、この子たちにできる限りの力を付けさせてあげたいっていうのが、そういう先生たちの気持ちが、毎日毎日、送り迎えしててもわかるんですよ。だから、最初に上がったときの「ああ盲学校しか・・・」という気持ちはすぐになくなりました。

盲:地元の小学校との交流もずっと続けていましたよね。

秋:6年間地元の小学校に交流に行って私が感じたのは、やっぱりできることもたくさんあるけど、できないこともたくさんあるということ。運動にしても、図工なんかにしても。盲学校ではいろいろ工夫されているけど、小学校では、やっぱりできないことがある。だから、里奈が筑波附属盲を希望しなくても、私は中学校との交流は希望しなかったと思ってます。それは、やっぱり、6年間、小学校に付いていって、自分の目で確かめたから、納得して思ったことなんです。私は自分が納得しないとダメなんです。だから時間も惜しまないし、里奈のために何かをするってのは全然苦にならないし、本当に楽しいし。で、交流については、これは、もういいかな。クリアしたから、その分、水泳とかピアノとか、そういうのでまた力を付けて、自分で楽しめることがあればいいのかなと思って、ちょっと自分でいいように考えているのかもしれないですけど。

盲:それで、中学部から附属盲に進学したわけですね。

秋:本人は附属に行きたいって言うけど、私は、それはもう泣けちゃって、泣けちゃって。中学生って言っても、まだ子どもじゃないですか。それが親元を離れて寄宿舎に入るって言うんで、私はもうどうするのかと思って、私が東京に出て行こうかな、どうしようかなと思って。でも、上の子がいるしなと思ってね。いよいよ合格して行くことが決まったら、里奈の顔を見るたびに毎日毎日泣けちゃって。でも本人は希望に胸をふくらませて「ああ、お友だちがたくさんできる」とか、すごく喜んで、自分が決めたことだし、「私の人生は私が決める」って、6年生のときに言われて、主人も私もそれから何も言えなくなってしまったんです。まあ、里奈が選んだことには、私たちは応援しようってことで。もしダメになったら、また平塚にもどってきて、もう一度力をつけて、何だってたいていのことはやり直しがきくから、とりあえず里奈の気が済むんだったら行かせようってしたんです。

盲:そうだったんですか。6年生でもう「私の人生は私が決める」って言ってたんですね。

秋:そう。そう言われたら何も言えなくなっちゃって。私は、中学までは平塚で勉強させてもらって、高校生になるときに受験すればいいのかなと思っていたんだけど、いろんなところから話を聞いてきて、中学から行くって言うし、それが良かったんだかどうだかわからないんですけど。

盲:いや、それは間違いなく良かったんじゃないでしょうか。だって、本人が自分で決めると言って行ってるんですから。

秋:まあ、本人が決めたことですからね。私は、本当に里奈の教育って、何かをしたりはしなかったんだけど、里奈のやりたいということに付いて行って、邪魔しないようにバックアップして、それで私自身も楽しんで、そういうことをしてきただけなんです。上の子もいたので、上の子にも同じようにしてきた、まあちょっと、下の子の方が甘え上手だし、強いしで、ちょっと里奈の方に偏ったかもしれないけど、子どもといろんなことをしているのが好きだから、私としても好きなようにやってきただけなのかな。

盲:それは、素敵な子育てでしたね。ところで、今、盲学校を取り巻く環境は以前とは変わってきているんですけど、これからの盲学校について伺いたいのですが。

秋:やっぱり専門的なことは専門的な学校にしかできないんだから、そこのところは、今までどおりに徹底的に子どもたちに力を付けてほしいと思います。また、実際に、そういうことができる先生方がたくさんいらっしゃるし、私が出会えた先生方が、本当にいい先生方ばかりで、そのときそのときに必要な先生にうちは恵まれてきたんだ、まわりに助けられてきたんだと思ってます。

盲:それでは、若いお母様方に、これまでの秋山さんの経験を踏まえて、アドバイスのようなものをお願いします。

秋:私たちのころに比べると、今の方がいろいろなサービス機関が充実しているじゃないですか、お迎えなんかでも今はいろいろなサービスを使えるかもしれないけど、もうちょっと子どもに手をかける、よく見てあげる。しゃべってもしゃべらなくても表情でもわかるし、「あっ、こういうことが、今、必要なのかな」だとかが分かってくる。子どもって何十年も一緒に過ごせるわけじゃないし、3歳は3歳のとき、その時、その時の子どもをよく見てあげる、他人任せにしないで。そうすると、親もいろいろなことに気付くことが多いんじゃないかな。私たちのころって、みんな忙しくても送り迎えをして、とにかく子どものことが見たいし、朝の会のころから、子どもが「はーい」とか言ってると、もう可愛くって帰れないんですよ。「えっ、もう10時半」「もう11時」って、「もうそろそろ帰らないと」「もういいや、ずうっと見ちゃお」って、ずうっといたりして。もうちょっと子どもにかける時間を持ったら、何かもっと違ってくるんじゃないかなと思います。そうすれば、親も楽しいし、もちろんたまには親だって何かこう発散する必要だってあるけど、学校にだけまかせっきりにするんじゃなくて、何に対したって最終的には親が責任を持たなくちゃならないんだし、まあ、教育は先生にお任せしても、その後のお勉強だって、家ではやっぱり「今、何してるの?」「あっ、今こういうの勉強してるの?」って、関心を持たないと、子どもとのコミュニケーションが取れなくなるし、子どもの気持ちもわからないんじゃないかなと思います。私は、そうやってきて、「ママはすぐ来るから、言わない」とか、ちょっとうっとうしく思われていたところもあるかもしれないけど。でも、「ママはずっと応援してくれてた」し、水泳のときも、「他の子はみんな、お母さんに怒られる」って言うんですよ。「このタイムじゃ、お母さんに怒られる」って言うんですよ。私は「何で怒られるの?」って言って、「でも、こんなタイムじゃ怒られる」って言うんです。私は、どんなタイムだろうが、里奈が活き活きして、頑張っているのを見るのが楽しいし、里奈も「私のお母さんが他の子のお母さんみたいだったら、水泳なんかやってなかった。ママなんか私のベストタイムも知らないでしょ」って。レースが終わって、コーチに「今日の泳ぎ、どうでした?」って聞いて、「お母さん、今日はベストタイムですよ」って、「えっ、そうだったんですか?」というくらいの感じだから、タイムなんか本当に分かんなくても、「ああ、里奈が頑張ってる」っていうだけで楽しかったし、でも、ロッカールームとか行くと、「ああ、ママに怒られる」とか言ってる子がいるんですよ。すると里奈が「ママがそういうお母さんだったらやってられなかったし、ママがこういう能天気な性格でよかった」って、それはよくわかるんですよ。

盲:そうだったんですか。それは親子で名コンビだったんですね。ピッタリ合ってたんですね。

秋:私って、結構教育ママみたいに見られるんですけど、実は、勉強なんかしていると、つい「もう、やめなさい」って言ってしまうんです。だって、勉強していると、それに付き合わなくちゃいけないじゃあないですか。

盲:まあ、付き合わなくちゃいけないってこともないと思うんですけど・・・。

秋:だって、珠算の練習しているときなんか、まだテープのスピードについていけないときには、こっちが読み上げなくちゃならないじゃない。もういいじゃない、もういい加減でいいのにと思っても里奈が悔しがってやるから、今思えば、子どもの性格に親も寄り添ってやってたのかな。子どもの性格を一番よくわかっているのは親なんだから。私は、子どもの子育てが成功したのかどうかはわからないけど、ちゃんと子どもに目を向けて、子どもための時間を作ると、何か新しい発見ができるのではないかなと思います。

盲:そうですね。今日は、本当に貴重なお話を伺うことができてうれしかったです。ありがとうございました。