更新日:2025年8月21日
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横浜を一望する本牧の丘陵に1923年(大正12年)に開校しました。長年培われた穏やかな校風と静かな環境のもと、生徒は勉学はもとより学校行事や部活動に積極的に取り組み校内は活気に満ち溢れています。
すばらしい友人との出会いを通して、豊かな人間性を培いながら充実した高校生活を送ることができる学舎には伝統を引き継ぎながら、新しい時代を創っていく若人の姿があります。
4月には校門から西棟に沿って桜花爛漫の長いトンネルがつづきます。学校周辺の地域は、横浜の中心部に近いとは思えないほど緑に恵まれた環境です。
2014年(平成26年)3月に南館が完成し、7月には西館(管理棟)耐震工事も完了。2025年(令和7年) 3月に新体育館も完成し、全校生徒が快適な環境で学校生活を送っています。

校門からつづく桜のトンネル
1923年(大正12年)に横浜第三中学校(旧制)として開校しました。開校直後に関東大震災に見舞われ、1945年(昭和20年)の横浜大空襲で校舎のすべてを焼失。その後も、駐留軍によって校地が接収されるなどの苦難を経験しました。1948年(昭和23年)に横浜第三高等学校(新制)と改称、1950年(昭和25年)には男女共学となり、現校名に変更しました。創立以来の卒業生数は25,000名を超えます。
沿革の詳細につきましては以下のPDFファイルをご覧ください。
横浜緑ケ丘高校に今も引き継がれている校訓「三徳一誠」は、大正12(1923)年、横浜第三中学校設立の際に、漢学者でもある初代校長・藤村与六が定めました。
「三徳」は儒学の経典『中庸』に説かれる徳の中でも最も大切とされる「知・仁・勇」を指し、「正しい判断力を持ち・人のために尽くし・おそれない心を持つ」という意味を表します。「一誠」は、誠の心。藤村校長は加えて「言葉にしたことを実践し、成し遂げる」としました。
現在の校章の原型も開校時に藤村校長がデザインしたものです。三つの「中」から成るこの校章は、当時の校名・横浜第三中学校を表すとともに、「中庸」即ち「偏りのない」という意味も表しています。
「偏りなく学び、自ら意思決定し挑戦する」、「自他ともに尊重されるのびのびとした校風」は、百年を経て現在も受け継がれています。

三徳一誠の碑

校舎南館の写真
本校校舎には南館と西館、東館があります。
校舎の南館はグラウンドのすぐ北側に、2014年(平成26年)3月に完成しました。南館は明るく伸びやかなデザインの3階建で、全学年のホームルーム教室と理科の実験室、家庭科の実習室、パソコン教室や図書館とラウンジなどが配置されています。また図書館は、多目的に利用できるスペースがレイアウトされています。
一方、築40年以上となる西館は2015年度(平成27年度)に耐震補強工事が完了し、それに併せて職員室や事務室などの管理系諸室、書道室や美術室などの特別教室、選択教室などが整備されました。
東館はかつて図書館及びホームルーム教室として利用されていましたが、現在は音楽室と文化系部室が配置されています。図書館だったスペースは天井も高く、音楽室としてはとても広い空間となっています。
また、2025年(令和7年)3月に新体育館が完成しました。バスケットボールのコートが2面とれるアリーナは、県立学校では有数の広さです。柔剣道場(1F)、多目的室(3F)もあり、緑高生の活動が一層充実したものになります。

新体育館の様子
令和7年5月23日(金) 13:00~15:45 会場:本校新体育館
第1部 記念式典
第2部 ①歴史紹介 ②記念講演 ③生徒発表 等
大正12年、本校の前身・横浜第三中学校が開校。その翌年から現在の校地・本牧緑ケ丘で教育活動を開始し、以来、多くの皆様に支えていただき、この地で100年間学校を存続してまいりました。関係の皆様方のご支援ご厚情に、心より感謝申し上げます。
令和7年5月23日、「緑高」創立100周年記念式典を、県立学校有数の広さとなった新体育館を会場として行いました。「100年間のそれぞれの時代の『今』と懸命に向き合い、生きてこられた方々の思いがあったから、現在の緑高がつくられたのだ。」と、在校生も卒業生も年代を超えて実感できた式典でした。第2部最後の校歌斉唱は、新旧「緑高生」の高らかな歌声が会場に満ちました。
式典の詳細は、リンク先をご参照ください。
タウンニュース 中区西区南区版2025年6月12日号(外部サイトへリンク)
牧陵会(同窓会)100周年記念式典記事(外部サイトへリンク)