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更新日:2021年3月25日

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創立までの経緯

 大正8年(1919年)、横浜市議会議員・横浜商工会議所常任委員等を歴任された安部幸兵衛氏が当時の金で100万円(現在の約40億円)を公共事業に役立てるため県に寄付したいと、言い残して亡くなられました。その言葉を受けて県が用途を一般募集したところ図書館・病院あるいは育英資金にというふうに、使用申込が数十件にも及びました。鈴木達治(煙洲)先生はその頃、横浜高等工業学校の創立に関係していたことから、その資金で商業と工業をあわせた中等学校を設立して、横浜高等工業学校(現 横浜国立大学工学部)の附属、つまり文部省直轄の学校にしたいと考えこの件を申し出て運動をしたのです。
商業系と工業系との間でお互いに知識の交流をはかり、理解と親しみを深め、さらに商工協力して工業技術的な面と経営・経済的な面とに役立つ人材を養成する目的がありました。文部省直轄か県立かで議論がありましたが、県立として設立し校舎は当時開校の準備が整っていた横浜高等工業学校の余裕のある部分を使い、大正9年同時開校にこぎつけました。初代の校長は横浜高等工業学校の初代校長鈴木達治(煙洲)先生が兼務されました。
ここに県立商工高等学校の前身である5年制の県立商工実習学校が創立されました。
商業部51名、工業部73名での船出でした。

(商工高校同窓会発行90周年記念誌「名教自然」より抜粋

安部幸兵衛


安部幸兵衛 氏